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help リーダーに追加 RSS 今や社会問題・政治問題となった「いじめ」

<<   作成日時 : 2006/12/20 18:23   >>

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 いじめはどうして起こるのだろうか?これについてはまだ誰も分かっていないだろう。原因が分かれば病気と同じで原因除去という対策を立てればよいのだが、今のところ有効な手段は何一つ講じられずにいるのだから、それは原因をまだ特定できていないことを証明している。ならば、原因については推測するしかない。私はそれを「余裕のなさ」と特定した。これについては証明する必要はない。感性豊かな人間であれば誰もが推測できることであるから。

 「衣食足りて礼節を知る」と言われているが、正しくその通り。「ゆとり」がなければ、人を思いやったり助けようと思ったりする余裕は生まれてこない。
 一頃言われた「ゆとり教育」とは教師に土日の休日を与えるためだけの目的で導入されたものと言っても過言ではない。あれで子供にゆとりができたなんて信じているおめでたい父兄がいたらお目にかかりたいものだ。
 授業日数が減った分、子供たちのスケジュールが窮屈になるのは当たり前のこと。その結果が単位未履修者の続出。この結果は学習指導要領という縛りが無用の長物であることを物語っている。
 更に困ったことに、為政者にとって御しやすい国民を作るため、このインターナショナルの時代に、化石となったはずの愛国心なる言葉が堂々と復活し、教育基本法に恥じることなく盛り込まれた。
 世界平和実現のためにはむしろ国や民族といった概念を捨て去らねばならぬのに、それに逆行した概念が旧世界からよみがえってしまったのである。これはナショナリズムを徒に煽り、君が代・日の丸の下、国民を画一的に支配しようと言う魂胆が見え見えであるが、画一化された社会ほど、人間の精神に害をもたらすものはない。この閉塞感が人々からすます余裕を奪い去り、人心を荒ませて行くのである。

 競争原理の導入と言う錦の御旗の下、較差は止むを得ないと言うが、それは全然違うことだ。
 行きすぎた競争は、やがては較差を固定化させ、むしろ競争原理の働かない硬直化した社会を生み出すだけである。硬直化した社会に最早競争原理は幻だ。
 かつて「自民党ぶっ壊す!」と勇ましく叫んだ男は今や鳴りを潜めているが、実のところ自民党はぶっ壊れるどころか、より強固なアンシャンレジームとなり、ぶっ壊されたのは日本であった。情に厚いと言う日本らしさの文化を木っ端微塵に砕いてしまった。
 彼は叫んだ。「較差?それは当たり前でしょう。」
 その通りである。人間は生まれながらにして平等ではない。生まれながらに金持ちもいれば生まれながらに貧乏人もいる。また生まれながらに体力・腕力に優れた者、生まれながらにひ弱であったり、障害を背負わされて生まれてきたり人様々である。それは紛れもない事実。だからと言って、強いものが弱いものをとって食っていいことにはならない。それでは正しく彼の渾名どおり通りライオンの社会である。
 人類は地球上に登場して以来、人間は他の動物とは違う。人間は思いやりの心を持って、貧しきものも富めるものも、強きものも弱きものも、能力あるものもそうでないものも、等しく幸せを享受できる社会を築くため一歩進んでは半歩下がり、二歩進んでは一歩下がりして理想に向かって努力してきたはずだ。また、それが人間の証であり、他の動物と違うところだと自負してきたはずである。
 しかし、ライオンマンの登場により、それは単なる理想、それも夢幻の如き青臭い理想だと定義づけられてしまった。彼の作った社会は、較差は当たり前。これはどうしようもない真理。「弱いものは強いものに食われても仕方ないでしょう。力を持ったもののため弱者が切り捨てられるのは当たり前でしょう。」と開き直る社会であった。そしてその較差は固定化され、硬直化された社会となり、そこには最早競争原理は働きようもなく、下層に追いやられた人々は最早努力しても浮かび上がれない絶望感に打ちのめされている。窓際、肩叩きなんてのはまだマシで、最悪は自殺へと追い込まれるのである。これは大人社会のまぎれもない「いじめ」である。

 それと同じ現象が、子供たちの世界で起きていると言えよう。
 行きすぎた競争は硬直化した較差を生み出し、子供たちの世界に所謂名門校とそうでない学校を生み出した。また同じ学校であっても能力別編成と言って、所謂できる子のクラス、そうでない子のクラスと色分けされ、生涯拭いようのないレッテルを貼られてしまう。そのことが子供たちの心の荒みに拍車をかけイジメへと連鎖するのである。

 今こそ気づかなければならない。較差を当たり前とすることは人間が人間であることを放棄するに等しいことだと。そして人間が人間であるために較差を埋める努力しなければならないと。能力や体力や財力に差があったとしても、較差を埋める努力を怠ったら、もうそれは人間ではないと万人が自覚を持たなければ、いじめのない社会は実現できないと。
 そう言う意味でぶっ壊さなければならないのは今の硬直化した教育制度であろう。

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はじめまして
のんびり気ままに読んだり書いたりして暮らしていけたら幸せと思っていた機械オンチの私が、一念発起してこのHPを開いたわけは、どうしても憲法9条と教育基本法を守りたいからです。 そして同時に、この切羽詰った思いが、長年抱き続けてきた「内申書制度をなくしたい」という気持ちに火をつけたからでもあります。 ...続きを見る
内申書制度の廃止を求めます
2006/12/21 00:50
ポチの出番+安倍内閣支持率+ランキング思考。
いよいよポチの出番!?? ◆ 東京新聞  ー以下一部引用ー ...続きを見る
わんばらんす
2006/12/21 11:32

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コメント(1件)

内 容 ニックネーム/日時
風さん、しばらくです。今年もよろしくお願いします。
今年は改憲の年になるかもしれず、気が抜けませんね。ところで風さんの愛国心へのご意見について、私なりの考えをブログに述べてきたのでよかったら是非ご意見などいただけたら幸いです。

参考までに。10/19私が考える「公共の福祉に反する行為」、
11/9数学者ピーターフランクルさんの愛国心
11/15愛国心教育への誤解
12/28愛国心5000円也、おいこら・・
suzuran
2007/01/09 11:51

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