メディアの品格

 メディアの品格・・・そんなものあるか!と言われ兼ねない。そうかもしれない。が、言葉を選ぶ感性を持たぬマスメディアに、敢えて一言申し上げたい。

 感性乏しきジャーナリストたちは、何でもかんでも体罰、体罰と報道しているが、罰と言うからには、その対象が何か悪いことをして、それを懲らしめるためのものと思われる。しかし、試合に負けることが罪であろうか?プレイでミスを犯すことは人間である以上、当たり前にあることで、どうして罰せられねばならないのだろう?選手や生徒のためと言うよりも、むしろ自分のため暴行を加えている場合が多い。実際に私は「俺の面子をつぶしやがって」と言って負け試合の後、生徒に暴行を繰り返した教師を知っている。こう言う教師やコーチに共通している点は、いい訳が巧く自己を正当化する術に長けている点である。腕っ節も達者だが口も負けずに達者だ。と言うことは、自分の振るった暴力が、いつか批判されることをあらかじめ予想し理論武装も怠りないと考えられる。そうまでして、そして、そこまで知った上で暴力を繰り返すということは、暴力も麻薬同様、中毒になり、暴力依存になり、暴力を振るう快感を忘れられず繰り返してしまうのだろう。
 そして暴行と言う行為は感染する。生徒や選手に暴行を加える教師やコーチたちは、彼ら自身もかつてそう言う目に遭わされているケースが多い。
 以前、私が直接対峙した暴力教師は、「お前はどうして子供たちに暴力を振るうのだ」との私の問いかけに対し、「子供たちは納得している」と答えた。「馬鹿なことを言うな!訳も分からず殴られて納得する者など居るわけがないだろう。」と言うと「自分も高校時代、監督に殴り倒されスパイクで顔を踏みつけられたことがあった。しかし、そのおかげで県大会にも出場できたと思っている。自分はその監督に感謝している。だから子供たちは納得しているはずだ。」と臆面もなく言い放った。「お前はとんだ裸の王様だ。お前のような奴に大事な息子を預けておく訳には行かない。」
 私は、即刻子供を転校させた。私の判断は正しかった。ウチの息子の転校後も、その教師は暴行を繰り返していると風の便りに聞いた。
 暴行を繰り返す教師やコーチは、まずなおることはない。教育現場やスポーツの場からは退いてもらうしかない。
 今まで報道されてきたような事件は、どれも体罰ではなく暴行である。
 体罰と言う言葉を使うことは暗に加害者をかばうことになり、被害者を、罪を犯した者として貶めることになるのだが、それが分からないほど、ジャーナリストの感性は乏しいのであろうか?それとも承知の上で、意図的に加害行為を少しでもかばおうとしているのであろうか?判断に迷うところであるが、いずれにしても由々しき問題である。

 こういう報道を見ていると、何年か前の「こうのとりのゆりかご報道」を思い出す。
 熊本市の慈恵病院(蓮田晶一院長)が「子育てできない親から新生児を預かり、その尊い命を守る」と言う崇高な志をもって設置した「こうのとりのゆりかご」のことを態々「赤ちゃんポスト」と名称を変えて報道した信じられないような意地の悪い社会現象である。
 あの時の報道は、「育児放棄の助長」と、「(小荷物扱いを連想させる)ポストという名前に大変、抵抗を感じる」というものだった。だからこそ設置者である慈恵病院が配慮に配慮を重ねて、「こうのとりのゆりかご」と言っているにもかかわらず、それは無視して態々「赤ちゃんのポスト」と報道し、自作自演の批判を演出したのである。何故態々そんな薄汚い報道の仕方をしたのであろうか?これもまた深い謎である。
 その時、この「こうのとりのゆりかご」批判の急先鋒に立ったのが安倍晋三氏であった。
 彼は「子育ては生みの親の責任」と、他人事のように突き放した。確かに彼にとっては対岸の火であり、当然のことだろう。子供、即ち次の世代に愛情を持っていたら、返しきれない借金を更に増やして次の世代に押し付けようとはとてもじゃないが恥ずかしくてできないことだ。放射能も然り。子供に愛情を持っていたら、その子たちを放射能の危険に曝そうとはとても思えない。彼には総理を目指すなら親の心を身につけてからにして欲しかった。世界には助けを待っている子供たちが溢れている。彼ぐらいの財力と地位と名誉を備えていたら、アフガンやカンボジアから養子を一人でもいいから迎え、愛情をたっぷり注いで育て上げ、親の心を備えたから政治家を目指して欲しかった。
 私は、子育ては生みの親の責任であると同時に社会の責任であると考えている。
 また、子育ては社会全体の責任であるというコンセプトを日本と言う社会全体で共有しなければ、少子化対策などありえないのである。
 安倍晋三氏の頭には少子化対策と言う言葉はないのだろう。

 設置者である慈恵病院が配慮に配慮を重ねて「こうのとりのゆりかご」と言う名称を使用したのに、態々「赤ちゃんポスト」と名前をすり替え、その事業を貶める報道をしたのは何故だろう?・・・それはまるで、マスメディアが、その批判の急先鋒に立った安倍晋三氏を一斉に「よいしょ」するかのようなものだった。

 今回の体罰報道も、一般人がやれば暴行と報道され、傷害事件の容疑者となるべきものを、教育界とスポーツ界においては、そうではなく特別に扱われるべきだと、暗に主張しているかのように聞こえる。マスメディアは読者や視聴者の反感を無視して何故にそこまで犯罪者をかばおうとするのか理解のできないところである。そうせざるを得ない大きな力が働いているのだろうか?そう勘ぐらざるを得ない。何故なら、いっぱしの記事を書けるジャーナリストがそれくらいの感性を持っていないはずがないからだ。
 であるから、ジャーナリストたちに今更感性を持てとは言わない。言っても無駄である。その代り、新聞の読者やテレビの視聴者には言いたい。報道を鵜呑みにせずご自身の感性で判断すべきだと。

 他にもいろいろとある。例えば、除染。除染と言うと毒を消す消毒のように放射能を消し去ってしまう魔法のように聞こえ、国民を惑わしている。放射能は消えない。AからBに移すだけである。Bにしてみりゃ認めるわけには行かない。だから、放射能をAからBに移すといわずに除染と言う。震災瓦礫の各地への分配も、被災地への協力、即ち「絆」と言うことだけが強調されて放射能のばら撒きについては誤魔化されている。また、電気料金の値上げの際に報道される内容は、その典型である。電力会社の赤字の原因は火力発電を増やしたためだけが原因のように報道されているが、そうではないだろうと推測する。総括原価方式を正しく運用するなら、火力発電と関係ない、原子炉の減価償却費、そして、発電していない日本原電への基本契約料金の支払い、原子炉の安全対策費、使用済み核燃料の処理費、原発交付金、また、東電の場合は福一対策の費用等々、火力発電と関係のない費用は除外されなければならないが、そうはなってないだろう。
 話は横道にそれたが、こんな馬鹿げた報道を許していたら、教育現場から暴力がなくなることはない。体罰と言って教師を守り、被害生徒を貶めるのではなく、ありのまま暴行事件ととらえることから始めなければ、教育現場から暴力を駆逐することはできないであろう。


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