コノハナサクヤヒメの化身

 さて?これは何でしょう???  ハイ、ヤマシャクヤクの芽です。  年末から年明けにこのような芽を出し、このままの状態で2~3ヵ月の間、じっと春を待ちます。その姿は健気と言うか辛抱強いと言うか?その寒さをじっと耐え忍ぶ姿には感銘を受けます。  やがて春が来て、5月の上旬~下旬の間に、2~3日の短い見ごろの開花時期を迎え、純白の大粒の真珠の様な美しい花を咲かせる。その姿は富士山の祭伸・コノハナサクヤヒメ様の真珠のネックレスから零れ落ちたのではないかとさえ思う。  耐え忍ぶ長さに比べ、花として咲き誇る期間の短さに何とも言えぬ儚さと健気さを感じる。将に「辛抱の象徴」  大分温かくなった。そろそろ動き始めるかな? にほんブログ村

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箱根禁伐林の春の妖精たち

 「整列!」  タチツボスミレが号令をかけ、並んで出迎えてくれた。  箱根禁伐林・・・これから暫しの散策である。   タニギキョウ   ニリンソウ   コケリンドウ   アカガシの大木  アカガシの大木         ブナの大木  ミヤマシキミ  ジロボウエンゴサク  トウゴクミツバツツジ  ドウダンツツジ  ムラサキゼニゴケ  キランソウ(ジゴクノカマノフタ)     フデリンドウかな???  オオイヌノフグリ  ミズバショウ  既に花期は過ぎ直に夏になることを思っているのだろうか? にほんブログ村

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名残雪の中を歩く

 2015年3月14日、名残雪の降る中を歩く。  石割山山行中、突然の春の淡雪。  普段雪の降っているところを見ることのできない静岡県の人間には感動的な景色だ。  春の淡雪の中、風情豊かな山路をそぞろ歩く。

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新しい年、希望の山・富士山

 富士山は何処から見ても素晴らしいが、私はやはり海越えに見る富士山が一番好きだ。  それも、新春の雪を戴いた海越えの富士山が、のたりのたりとした海の上に聳える姿は喩えようもなく美しい。       YouTube      

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醍醐寺は姥桜だった

 醍醐寺の桜は既に盛りを過ぎていた。  去り行く恋人の背中を眼で追うように、誰もが恨めし気に、木々の梢を仰ぎ見る。  これでは仕方ない。時間も迫っていることだし帰ろうではないか・・・・  それでもあきらめきれずに、来た参道を引き返すのではなく、ぐるりと遠回りして違う道を帰る。  やや!あれはなんだ???  お坊さんの行列に接近遭遇。(笑)  そう言えば、きょう、4月8日はお釈迦様の誕生日。  花祭りの行事であろうか?  桜の見頃には間に合わなかったが・・・  流石は日頃の行いの良い吾輩、いいものを眺めさせていただいた。  醍醐寺の桜とともに我々の今年の春も終わった。

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清水寺の逆さ夜桜

 池の水面が鏡のように微塵も揺れ動くことなく、ライトアップされた美しい夜桜がそこにくっきりと映し出されていた。  この世のものとは思えぬような、こんな素晴らしい光景に出合えた自分の強運に感謝!

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京都の春

 桜散り初める4月6日、南禅寺より法然院方面へ、くくり残されし春を求めてそぞろ歩く。

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もののふの八十娘子らが汲みまがふ寺井の上の堅香子の花

 堅香子(カタカゴ)の花とはカタクリの花のことだそうな・・・そしてタイトルの歌はご存知、万葉集に収められた大伴家持の歌である。カタクリと聞くと、この歌が頭に浮かぶ。  また、カタクリと言うと、薄紫色の下の写真のような花を思い浮かべるのが、普通のことであろう。  私の大好きな花であり、高貴な色合いもさることながら、この反り返った凜とした様がたまらない魅力だ。  先日、新潟の小千谷に住む友人が、城山に登った折、白いカタクリを見つけたと携帯で写した写真をメールで送ってくれた。     撮影:入路  上の写真が登る際に写したもので、下が下山の際の写真だ。下山までの短時間と思われる間に朝日を充分に浴びたと見えて、とても華奢な佇まいながら、反り返った花弁は、カタクリ特有の凜とした雰囲気を醸し出している。     撮影:入路  これは!別嬪さんだ!華奢な身体つきで、恥らうように俯いているが、それでいて凜としている。将に、男心をくすぐる大和撫子である。  白いカタクリについては、劣性遺伝の発現によると言う説が有力らしい。それ故、育ちにくく、ただでさえ花をつけるまでに7年かかるといわれているが、その間に枯れてしまうものも多いと推測されるのだろう、1万株に1株と言う希少な確率でしか見ることは叶わないとのこと。そう聞くと余計のこと愛おしい花である。  こんなに清楚で美しい花である。大伴家持さんは見たであろうか?思いは万葉の昔に馳せる。  もののふの八十娘子らが汲み…

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心づけて見ねばこそあれ春の野の芝生にまじる花のいろいろ

 詠み人は、茶人・武野紹鴎(たけのじょうおう)、或いは、その弟子・千利休らしいがよく分からない。私でないことだけは確かだ。ヽ (´ー`)┌  文芸に縁のないガサツな私にも文句なく感情移入できる歌であり、その感性の素晴らしさが伝わってくる。  ゴールデンウィークの内の一日は、静岡県田方郡函南町の原生の森のニリンソウとの年に一度の逢瀬を楽しむことにしている。  4月29日、天気も上々。トキメキながら車を走らせる。  この時期は、茶人の心を真似て足元に気をつけながら歩くのがとても楽しい。  ニリンソウとのデートの場所への道すがら、他の可愛い子ちゃんたちに目を奪われながらそぞろに歩く。  セントウソウ  ムラサキサギゴケ  キランソウ  誰かに呼び止められているような気がして足を止める。  タニギキョウ  「気づいて!気づいて!・・・・・・私を撮って!」  んん??誰だ?  タンポポやセントウソウやムラサキサギゴケやキランソウ等々の陰から健気に自己主張しているのはタニギキョウであった。  よしよし・・・お前が一番。(^-^ )  パチリ!  米粒ほどの大きさでしかないが、実に凜として咲いている。しかも、頑張って咲いている様子がよく分かる。恐らく100人の内、99人は気づいてくれずに通り過ぎてしまうだろう。それどころか踏みつけられてしまうかもしれない。でも、彼女たちは誰のためでもなく自分自身のため、頑張って咲いてい…

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国破れて山河あり

 4月2日は、昨年に続き同級生たちと、三島市にある遺伝学研究所の一般公開の桜見物に出かける約束が1年前から交わされていた。が、しかし、そこへ3月11日の東日本大震災。世界を震撼させ、全ての日本人の気力を打ち砕く大惨事が発生してしまった。貴い多くの人命が失われ、被災された方々の深い悲しみ悔しさを慮ると、とても花見どころではない。あの日以来、殆どすべての行事やイヴェントが中止されている。  貴い命と深い悲しみ悔しさの回復は困難であろうが、地震・津波と言う自然災害だけであれば、どんなに多大であろうが物的な損害は何時の日か必ずや復興できたろう。しかし、安全性より経済を最優先した邪悪な強欲主義が作り出した放射能汚染と言う人災が追い打ちをかけてはそれも不可能になってしまう。  被災された方々の深い悲しみと、国の行く末を考えると、自然と頭は垂れたままだ。とても花見など出かける気になれない。そこへ友人からメールが届いた。  「個人的には実施すべきと思っています。中止にして、ジット家の中でテレビを見て 暗くなっていてもしょうがない。日本の四季折々の景色の素晴しさを改めて思い、これを守っていく事が基本だ と皆で感じる事が 大切と考えています。もし 皆の意向で中止になるようでしたら、同じコースを家族・親戚で廻ろうと思っています。」  そうなのだ。彼の言うとおりである。被災しなかった我々が下を向いていては、被災した人たちを元気づけることもできない。かと言って、腰痛持ちの初老に差し掛かった男が、現地に行って…

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富士山麓の春

 長い間、特別支援教育に携わって来た高校の同級生が、退職後、秋のキノコ狩りと春の山菜狩りと、年に二回、子供たちを山野に遊びに連れて行くボランティアを行っている。  今年も5月16日にワラビ狩りに行くと言うので、お手伝いも兼ねて連れて行ってもらうことにした。  「いきいきクラブ」と銘打ったこの遊びのコンセプトは「できることをみんなでやろう」だそうな・・・。だから私の役目は危険がないよう時々目を配ること。それだけであるから主な行動は我が家の食材となるワラビを摘むこと。  場所は表富士の麓・板妻の野原。  秋には一面薄原(←ここをクリック)となるが春は青々とした文字通りの野原。  五月とは言えまだまだ冷たい富士山おろしの風が迎えてくれる野原にはあちこちに黄色い可愛い花が・・・。  やはりお手伝いで同行した同級生の奥さんが山野草に詳しく、上は多分ミツバツチグリで、下は多分、キツネノボタンではないかと解説してくれたが、私にはどこがどう違うのかさっぱり見分けがつかない。  こちらは・・・上はヤマルリソウをちょいとばかりでっかくしたものではなくホタルカズラだそうな。で、下はナルコユリではなく恐らくアマドコロだろうと言うこと。  家に帰ってからアマドコロとナルコユリなるものを検索してみたが、やはり私には見分けることは不可能と分かった。  悪い癖で山野草が気になりだすとそちらにばかり目が行ってしまい、肝心のわらびは不漁。山野草…

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カタクリの花が取り持つ情操教育

 福寿草やニリンソウ等、数あるSpring Ephemeralの中でもカタクリは格別ではなかろうか。あの清楚でしかも凛として野に立つ姿は多くの山野草ファンの胸を打つ。  何年か前に、野にあるカタクリの花を愛でたくて、身近なところにカタクリの群落はないかと検索していて偶然見つけたサイトがある。それは、静岡県富士宮市立富士根北中学校のホームページ(←クリックしてみてね)である。  そのホームページを見ていて、とても家庭的な雰囲気のいい学校だなと思った。きっと熱心ないい先生がいらっしゃるのだろうと、その時は単純にそう思った。  だが、学校の前の林床に自生するカタクリの保護活動をもう10年も続けているようだ。10年も続いていると言うことは一人の熱心な先生の力だけでは到底無理なこと。先生の人事異動があっても、学校として、このカタクリの保護活動を代々受け継いでいるからこそできることである。  カタクリの保護活動を通して、スケッチをしたり写真を撮ったり自然観察をしたり俳句を作ったり様々な交流を図ったり、と、それは理科の勉強であったり社会科の勉強であったり国語の勉強であったり、広い分野での教育に役立っているようだ。何より素晴らしいなと思えることは、カタクリだけでなく様々な自然や人に「生」で触れながらの情操教育を図れることではなかろうか。  山里の、各学年一クラスずつの小さな中学校だからできることかもしれないが、きっと素敵な高校生や社会人を多数送りだしているに違いない。  ホームページを閲覧するとコ…

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オトシブミ探し

 副題を「モテナイ中年男の恋文探し」としたい。と言うのは、当初、タイトルを「モテナイ中年男の恋文探し」としたところ、早速コメント欄にいかがわしい業者のいかがわしいリンクを貼り付けられ辟易。よって、これは副題とし、タイトルは「オトシブミ探し」と変更することにした。モテナイ中年男はいかがわしい業者の恰好のお得意さんになると思われたのだろう。うう~、(-_-)ゞ゛  不徳の致すところ。反省。(;-_-;)  知人が読んだら、「中年???いやいや立派なご老人ですよ」なんて言われそうだが、五十肩で苦しんでるんだから立派な中年だろうと反論したい。「えっ!何年遅れの?」・・・ドクターの言うには八十でも九十でも五十肩って言うんだそうな。  ところで五十は中年だろうか?・・・まあ、それは置いといて・・・ヽ( ´ー)ノ  ここ数年、個人的に私の夏を迎える儀式となっている恋文探しに出かけることにした。  昨年は一つも見つけられず、「ああ~俺はやっぱりモテナイんだな」と悲観したものであったが今年はどうだろうか?  愛鷹山の林道を登って行くと、程なく爽やかな新緑が迎えてくれる。  平安時代の男は、想いを寄せる女性に書いたラブレターを、わざとその女性の歩いている前に 落としておく、“落とし文”という優雅な風習を身につけていたそうな。しかし今や男女共同参画の時代、女性の方が私の歩いて行く前にオトシブミの一つや二つ落として行ってくれてもよさそうなものだが・・・などと、愚にもつかないことを去年も考え…

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Spring Ephemeralとの出会い

 春と言うよりも初夏と言った方が良いかもしれない5月2日、「春先のはかない命」との素敵な出会いがあった。  休日は高速道路は利用しない主義なので、ここ四半世紀の間に何十回となく訪れた近場の森を散策していた。「ここらでお昼にしようか」と、いつも腰を下ろす場所に眼をやった。するとそこは直射日光が当たっていたので、どこか日蔭はないかと辺りを探した。わずか2~3メートル離れたところに頃合の場所があった。そこを陣取って腰を下ろす。  保冷バッグで持参した冷たいタオルで顔を拭い、やはり保冷バッグで持参した冷たいペットボトルの水を飲んだ。これが実に幸せなひと時である。山歩きでかいた汗を冷たいタオルで拭き取り、冷たい水を飲む。これほど気持ちが良くて美味いものはない。人心地ついておにぎりを頬張ると、目の前に白い可愛い花が咲き乱れていることに気がついた。  ん?ん?・・・これはもしや・・・ニリンソウではないか?  植物に全く興味の無かった数年前までの私なら決して気がつかなかっただろう。現実に四半世紀もの間、気がつかなかったのである。  数年前に、ヘブンリーブルーの写真をネットで目にして、いたく感激し、自分でも撮ってみたいと実際にヘブンを育てデジカメを始めた。その後、散歩には必ずデジカメを持ち歩くようになり、それまで見えなかったものが見えるようになってきた。  イチリンソウやニリンソウのことは話には聞いていたが、実際に目にしたことはない。故に全然分からない。しかも、命名の由来ともなっている一…

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冬来りなば春遠からじ

 好むと好まざるとに関わらず時は流れ、黙っていても年が変わろうとしている12月31日、毎年のことだが寒さに必至に耐える我が家のカワユイ福寿草の芽を認める。  金融界に巣くう強欲な投機心のおかげで、かねてより懸念されていた通り、このところ、ことのほか多くの人々が辛い目にあっている。  福寿草のような植物でさえ、身を寄せ合うように寒さに耐えようとしているのに、人間にはそれができない。強欲な企業は莫大な内部留保を抱えながら、先ずは首切り。  冬来りなば春遠からじ・・・物事には必ず反動がある。今は需要が減って人手が余ったとて、必ずや揺り戻しが起きて需要は回復し人手は足りなくなる。その時、残忍にも人を切り捨てた強欲な企業は、何事もなかったかのような涼しい顔をして求人に走るのだろう。何故、その時まで待てないのだろう?少なくなった仕事を分け合い、この福寿草の冬芽のように身を寄せ合って耐え忍ぶことはできないのだろうか?  弱い立場の勤労者は常に強欲な企業に振り回され続ける。  年が変わって、1月15日、僅かに膨らんだ福寿草の芽を愛ずる。  半月経って、たったこれだけだ。でも、必ずや春が訪れることを知っていて頑張って耐えている。  1月18日、わずか3日で福寿草の目覚めを感じる。  1月20日、暖かい寝床であくびをしているようだ。  そして囁いた。「もうちょっと待ってね。(^-^ ) 」  1月21日、大寒の翌日、ついに咲いた。ヽ( ´ー)ノ大…

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入生田の枝垂桜

 年度がわりも無事終え、無事と言っても業績は最悪、しかし、待っていれば、自然と時は進み、年度はかわるもの。こういう時には、「政治が悪い!」と自身の能力は棚に上げ、政治家や官僚の得意技・責任転嫁という優れた処世術を大いにまねてみよう。  「そうだ、俺が悪いのではない。全て政治が悪いのだ!!」と、まあ、開き直って、昼前にちょっと時間が空いたので、思い切って、箱根蕎麦を食いがてら、小田原は入生田の長興山・紹太寺の枝垂桜を見にひとっ走り。と言っても、この近辺駐車場がないので要注意。  年度がわりと言えば、悪い政治のツケである例の暫定税率、昨日で期限切れ。きょうから各ガソリンスタンドの価格がどうなるかマスコミは大騒ぎだが消費者はいたって冷静、或いは、いつもと変わらぬ諦めモードとも無関心とも取れる静かな一日。  どうせ一回か二回の給油の価格だ。マスコミよ、そんなに騒ぐでない!。常々思っていることだが、どうも最近のジャーナリストは勉強が足りないだけでなく、単なるアジテーターに成り下っているような気がする。マスコミの騒ぎすぎのおかげで、スタンドは税金のかかった在庫ガソリンをその分値引きして売らなければならないハメに。実に気の毒である。  まあ、勉強が足りないのはジャーナリストだけでなく、政治家の方はもっと酷いものだが・・・。  第一、「暫定」と言う言葉の意味さえ知らないようだ。この税金、暫定と言うにはあまりに長すぎた。期限切れを機会に、衆議院で再議決なんて馬鹿…

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桜、さくら、サクラ

 2008年3月27日、気象庁は東海・関東地方のソメイヨシノの満開を宣言。  しかしここ静岡県東部では、場所によって差もあるが、実際は3分から5分咲きと言ったところ・・・か?地震の予想が間に合いそうもないので、どうもサクラの満開宣言で一日焦っってしまったようだ?ヽ( ´ー)ノ  ここは、沼津市北部の、とある寺。5つの塔頭をもち、地方都市にしては珍しく規模の大きい寺。  しかし、一夜明けた2008年3月28日、ここ愛鷹の丘陵を切り開いて造られたある通信機器メーカーの工場への進入路は、一気にほぼ満開となっていた。この分ではあの寺の桜も一気に満開となっているであろう。  咲くのも一気だったが、この分なら散るのも、いつもより更に潔いだろう。  今年は、幾つかの裁判の判決文で、「・・・躊躇せざるを得なかった。」などと言う実にふざけた記述を眼にした。  オイオイ!ふざけるな!と言いたい、プロの裁判官が判決に躊躇してどうするんだ?それで裁判員制度なんてものを持ち込んで、一般国民にその躊躇せざるを得ない心情を押し付けると言うのか?  その影響か、あちこちで花たちが開花を躊躇している。椿の仲間も今シーズンは随分とおかしかった。  当然、桜も開花を躊躇していた。この分なら見頃は四月に入ってからかな?と一時は思っていたら、このところの思い切りの良さは、実に唖然。  まこと、桜の見頃は難し…

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春の訪れ

 あたまを雲の 上に出し 四方の山を 見おろして  かみなりさまを 下に聞く 富士は日本一の山  青空高く そびえ立ち からだに雪の 着物着て  霞のすそを 遠く曳く 富士は日本一の山  童謡・「富士山」と同じように雪を戴き、確かに頭だけ出してはいるが、 それは雲の上ではなく、濃い春霞の上であった。冬の富士山をうたったであろう巌谷小波作詞の富士山とはちょっぴりイメージが違う。本格的な春の到来である。  きょうは偶然春霞に浮かぶ富士を見たが、私にとっての春の知らせはなんと言っても、みかん農家を営む知人から届く「黄金柑の出荷の準備が整った。」の報である。  その知らせを受け、黄金柑を貰い受けに西浦に出向いた。  西浦の海は、ひねもすのたりのたりと言う訳には行かなかったが、沖合いに少々白波は立っているものの、穏やかな春の海。その穏やかな春の海にかかる春霞の上にポッカリと浮き上がった富士の頭は、それは幻想的でチャーミングであった。  貯蔵庫で永い眠りに就き、ゆっくりと自然に熟成した黄金柑である。即席に熟成させたものとは一味違う。  黄金柑の原産地は九州らしいが、今や西浦の名物となっている。  かなり酸味が強いがその分コクのある筆舌に尽くしがたいデリシャスな柑橘類。  なんと言っても香りが良く、その匂いを嗅いだだけで幸せな気分になれるアロマ効果満点の柑橘類。  皮が厚く硬くとても剥き難く、また袋も硬いので、大変食べにくいが、味・香りは申し…

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梅一輪 一輪ほどの あたたかさ

 頑ななまでにじっと小さいまま寒さに耐えていた花芽が漸く膨らみ初めても、一向に寒さが緩む気配はなく、春は足踏み状態だった。  その蕾がやっと膨らみ、3月4日に一つ開いた。  梅が咲くと、誰もが思い浮かべる服部嵐雪の俳句。  梅一輪 一輪ほどの あたたかさ  私は、この句が口をついてでてくると、決まって中学時代の社会科の先生を思い出す。この先生は寒がりで、この時期、梅が咲き始めると、ちょっと前かがみになって両手を合わせてこすりながら、「梅一輪・・・」とやり始める。独り言のように「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ・・・いや、梅一輪 一輪毎の あたたかさ、だったかな?・・・どっちだったかな?一輪ごとだな・・・うん、どっちだか知ってる人?ハイ手を上げて!」と社会科の授業そっちのけで俳句の授業となった。所謂脱線授業である。  昔はこう言う先生が沢山いたものである。この先生は、例えば歴史で川中島の合戦が出てくると、「鞭声粛粛夜河を過る~」と始まり、上杉謙信と武田信玄の話をたっぷり1時間かけて講義してくれた。時には次の授業に及ぶこともあった。楽しい脱線であった。この先生のおかげで大河ドラマの大ファンとなった。  中学一年時の英語の先生は漢文が好きで、「世界中の言語で一番似ているのは英語と中国語である。」から始まり、英語の授業を即、漢文の授業に切り替え、黒板に漢文を書いては「これを次の授業までに暗記して来い。」と、宿題を課した。従って一つの漢文に2~3時間の授業を費やすことも…

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