3・11メモリアルinぬまづ

 あれから1年。
 犠牲となられた人たちのご冥福を祈ることは勿論、被災された方々のため一日も早い復興を願うことも勿論であるが、未来からの借り物である大地を大空を海を、これ以上汚すことなく、子や孫に返すため、脱原発への誓いをあらたにすることも、今を生きる“人”としての責務でもあると考え、故に、日頃から「嫌い」としているデモや集会であっても、こと脱原発への意思表示をできる機会があれば積極的に参加したいと思い、3月11日に沼津市内で行われるそれに関連した行事を探してみたところ、私の知る限り、「3・11メモリアルinぬまづ」ただ一つであった。にもかかわらず、参加者はわずかに60人程度。20万都市にしてはあまりに寂しすぎる。
 暗澹たる思いに心が押しつぶされそうになる。

 「3・11メモリアルinぬまづ」は奇しくも、放射能を故国に撒き散らした張本人である東京電力沼津支店ビルと、旧国道一号線を挟んで向かい合った沼津中央公園で行われた。

 耳をすますと、「あのビルでも塔でもいいから、『原発事故では大変ご迷惑をおかけしております。申し訳ございません。』くらいの垂れ幕を垂らしたっていいのにな!」と言う集会参加者の会話が聞こえてきた。
 東電沼津支店の建物と塔を仰ぎ見る。なるほど・・・と思う。
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 それにしても少なすぎる。
 市長の独り善がりの原発推進演説が議会で繰り返されようが、鉄道高架化一本やりの行政に、市民サービスが疎かになろうが、ただでさえ多い借金を更に増やして第二の夕張になる危惧があろうが、そのために若い世代の市外流出が続こうが、お感じ無しな訳だ。
 少なくても数百人は集まっているものと思っていたが、それは夢だった。この街の将来に暗澹たる思いだ。どうにも希望が持てない。

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 夢破れて山河あり
 その昔、兎追いし香貫山は黙ってそこに聳えており、小鮒釣りし狩野川はいつもと変わらず静かな水面に街の影を落としていた。せめてこの景色だけでも守りたいが、巨大地震が浜岡を襲ったら、浜岡から風下80kmの沼津には人は住めず、故郷の山河もあり得ない。

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 折れそうになる気持ちを支えてくれたのは、デモ行進が大手町交差点を駅方面に進んでいる時、沿道のメガネ店の店員2名が店から飛び出して来て、集会主催者が持っていた被災地への義捐金の募金箱にカンパしてくれた光景を見ることができた時、そして、アーケード街を行進中、仏具店の前にいた女性が、同じく募金箱に駆け寄ってカンパしてくれた光景を垣間見た時であった。

 この少なすぎる脱原発への意思表示により、市長の原発擁護&推進発言はより力を得ることになるだろう。保守王国・沼津で脱原発の意義を訴えることは至難の業だ。わずか半世紀前、市民運動でコンビナート進出を阻止し、人の住む環境を守った街とはとても思えない。沼津の現状は「酷い」の一語に尽きる。しかし、ここで諦めるわけには行かない。

 藤波心ちゃんの感動的なスピーチを見て、心を奮い立たせよう。(^-^ )

          



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