ランドセル俳人の五・七・五

     ブーメラン返らず蝶となりにけり      捨てられし菜のはな瓶でよみがえり      穴の主七年眠り夏の空      携帯の音かき消して蝉しぐれ      かき氷含めば青き海となる  「ランドセル俳人の五・七・五」 と言う句集の中から、私の好みでいくつか選んでみたが、詠み人は全て、小学生の俳人、小林凜君である。  いつだったか、テレビで紹介されていたので、購入してみたのだが、読んでみて驚いた。  素晴らしい!  俳句のことは良く分からないが、どの句も小学生とはとても思えない完成された俳句と言ってもよいのではなかろうか。感性の素晴らしさに驚かされる。  この本は、凄惨ないじめに遭い不登校と言うよりむしろ登校拒否をし、絶望的な状況に置かれた少年が、俳句を詠むことにより人生の「幸」をかみしめることができるようになった事実を綴った書と言えるのではなかろうか。  学校に行って、もし、傷付くだけであるなら、不登校になる前に自ら登校拒否すべきだと証明しているような書でもある。確かにその通りだと思う。  あまりにも稚拙な教員の多い我が国の教育現場で、同じような境遇にある子供たちは少なくないだろう。この書は、そう言う子供たちと保護者にとって必ずや勇気を与えてくれる書ともいえると思う。  是非にお奨めの一冊である。多くの人に、この本を手に取ってもらい、生きていることの「幸」を噛みしめて欲しい。 「風」にご用の方はここをクリッ…

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万葉集

 若い頃は勉強が嫌いで、万葉集なんてものは、名称こそ教科書やその他で目にしたことはあったが、実際に手にとって見たこともなく、中身の和歌も意味が分からず、私にとっては雲の上の存在であった。  そんな全く縁のなかった万葉集をとても身近に感じさせてくれるサイトを偶然発見した。  JR東海が閲覧者の旅心を誘発するために作ったCMのサイトであろうが、これが文句なくデキのいいサイトで、ググッとひきつけられるのである。  JR東海提供 「ココロ・ニ・マド・ヲ 万葉集」  これならば、閲覧者はただ眺めているだけでよく、充分に楽しめる。但し、頭の中に入るかどうかは別だが。  しかし、たとえ頭に入らなくても、そのサイトが、万葉時代の優雅な時の流れを醸し出し、遥か千二~三百年前の昔に誘ってくれ、曲がりなりにも古典に親しんだと言う充実感を与えてくれる。  眺めているだけで、その歌の詠まれた背景から、歌の読み&解釈まで全て教えてくれる。将に物臭な私にピッタリのサイトである。  最近では暇を見つけては、 http://manyoshu.jp/top.html (万葉集) ←これをクリックして、きょうはどんな歌が出てくるかな?と楽しんでいる。と言っても、寄る年波には勝てず、一向に頭に入らぬが、雰囲気だけ楽しんで満ち足りた気分にさせてもらっていると言う次第である。  それにしてもJR東海はまことにいいサイトを作ってくれたものじゃ。ありがとう、JR東海さん!  で、ある日のこと、 例により、 http:/…

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かたかごの里訪問

 大石寺境内散策の後、蕎麦処・喜八で遅い昼食を済ませ、富士市の岩本山公園を訪れ、懸案だった「カタクリの花が取り持つ情操教育」の富士根北中学校のかたかごの里を訪ねた。  欲張って富士市の岩本山公園訪問を急遽入れてしまったので、かたかごの里に着いたのは夕方になってしまった。もう少しゆっくりと観賞したかったが残念。やはり次回は一人で来よう。  春休み中の土曜日、しかも夕刻となってしまったので生徒たちも先生もおらず貸切での観賞。  見学者のために臨時駐車場も設えられ、至れり尽くせりの感。生徒たちの気持ちが伝わってくる。  それに、ここのカタクリは色が薄く、とても品が良い。(^-^ )  おまけで、蕎麦処・喜八の蕎麦をアップしておこうかな。           田舎天ざる蕎麦、1,250円ナリ  で、私が注文したのは、せりざる蕎麦800円+小天盛り600円=1,400円ナリ              抜群に量が多く食べきれない人も多く居るので要注意。  味も抜群!この量でこの味なら随分と安い。  友人の話によると東京&神奈川から態々食べに来る人もいるらしい。  蕎麦処・喜八:静岡県富士宮市の浅間大社近く、☎0544-24-0035  営業は、木、金、土、日曜日の11:00~15:00

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小林繁男、母校で語る

荒廃した熱帯林の修復は地球を救うか?―熱帯林とともに暮らす人々―  2009年の夏のことだった。還暦を記念して同級生16名で尾瀬に旅した。憧れの尾瀬ヶ原に立っていた仲間の誰もが、その美しく広大でピュアな大自然に驚嘆し、その地から離れがたい思いにかられていた。  トレッキングシューズの靴底は強力な接着剤で貼り付けられでもしたかのように、尾瀬の木道にぴったりと貼り付き動こうとしなかった。  「こんなに素晴らしい空間があるのに、明日は家路につき明後日からはまた仕事か・・・」1人の男を除いて誰もがそんな思いにかられ足がすくんでいた。  「みんな!ワリイな。俺は好きなことをしてれば食ってけるんだよ。」  1人の同級生が皆の心の内を読みとり、おどけたように口にした。  そうなんだなあ~、こいつだけは特別なんだ。彼は常時こう言った自然の中に身を置いていられる羨ましい存在。だが、それは、今まで彼が積み重ねてきた努力への天からの贈り物。彼が常に自然の中に身を置いて生活できることを羨ましいとは思っても憎たらしいと思うものはそこには誰もいなかった。誰もが、彼が常に大自然と向き合って生活できることを当然のこととと受け止め、彼の発言に納得していた。  その男の名は小林繁男、京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科教授。  彼は、高校のクラブ活動で、生物部員として初めて尾瀬に連れてこられ、その尾瀬の自然の素晴らしさに感動し、「俺は生涯、こう言う素晴らしい自然とかかわって生きてゆきたい。」そう心に刻んだ…

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俺たちの夏草冬濤

 「げたばき会」の友逝く  下駄(げた)の歯が また欠けたるや 蝉(せみ)時雨  30代の初め、高校の同級生7人の飲み仲間を「げたばき会」と名付けた。早くに1人を失い、また1人亡くなった。この夏、鬼籍に入った男は、東京農大生のころからアジアや中南米に興味を持ち、「将来、現地で支援活動をしたい」というのが口癖だった。  50代半ばで子育てが一段落。JAを定年退職後、長年の夢を果たすべく、単身、タイに渡って農業技術の指導を始めた。退職金を投じて灌漑(かんがい)用の井戸を3本掘り、2本を掘り当てた。現地の喜びと感謝は言うまでもない。  面白い話を聞いた。彼の知人の日本人農業技術者が、タイの稲作農家に日本式の米作りを教えたら、秋に例年の2倍の収穫があった。ところが、翌春、その農家は米を作ろうしない。「去年、2年分の米がとれた。来年また、2年分を作ればいいさ」と言ったという。バンコクの争乱を聞くたびにこの話を思い出す。  帰国中に持病が悪化し、病院で息を引き取った。死に顔が安らかだった。好漢、山田恭輔・享年63歳。【中村隆】  上述の文章は、平成22年8月4日付、毎日新聞・静岡版のショートメールと言うコラムの記事の無断転載である。筆者は毎日新聞の中村隆記者である。中村隆記者は私の高校時代のサッカー部の二級先輩の山田恭輔キャプテンの親友であるから、やはり先輩と言うことになる。無断転載であるが、先輩は怒りはしないだろう。  記事のコピーを友人が送ってくれた。私にとっ…

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カタクリの花が取り持つ情操教育

 福寿草やニリンソウ等、数あるSpring Ephemeralの中でもカタクリは格別ではなかろうか。あの清楚でしかも凛として野に立つ姿は多くの山野草ファンの胸を打つ。  何年か前に、野にあるカタクリの花を愛でたくて、身近なところにカタクリの群落はないかと検索していて偶然見つけたサイトがある。それは、静岡県富士宮市立富士根北中学校のホームページ(←クリックしてみてね)である。  そのホームページを見ていて、とても家庭的な雰囲気のいい学校だなと思った。きっと熱心ないい先生がいらっしゃるのだろうと、その時は単純にそう思った。  だが、学校の前の林床に自生するカタクリの保護活動をもう10年も続けているようだ。10年も続いていると言うことは一人の熱心な先生の力だけでは到底無理なこと。先生の人事異動があっても、学校として、このカタクリの保護活動を代々受け継いでいるからこそできることである。  カタクリの保護活動を通して、スケッチをしたり写真を撮ったり自然観察をしたり俳句を作ったり様々な交流を図ったり、と、それは理科の勉強であったり社会科の勉強であったり国語の勉強であったり、広い分野での教育に役立っているようだ。何より素晴らしいなと思えることは、カタクリだけでなく様々な自然や人に「生」で触れながらの情操教育を図れることではなかろうか。  山里の、各学年一クラスずつの小さな中学校だからできることかもしれないが、きっと素敵な高校生や社会人を多数送りだしているに違いない。  ホームページを閲覧するとコ…

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沼津アルプス縦走

 二十年程前に一度やったことがる。その時の印象は、「ただ、だらだらと距離が長く、しかもアップダウンの連続でかなりきつく、あまりそそるハイキングコースではない。」と言うもの。ま、好みは人それぞれで、「好き」と言う人もいるだろうが、標高300メートル前後のところを落差100m以上を上がったり下がったりの連続で、大して景色がいいわけではなく、夏場はただ暑いだけで、私の好みではない。  そのあまり好みとしていないハイキングコースを何故歩くことになったかと言うと、香陵63期の同窓生の仲間内で、毎年、新年会をやっているのだが、その新年会の会場は、内浦湾をはさんで沼津の対岸にあたる同窓生の営む料理の美味い民宿と決まっている。で、今年の新年会で、酒の上の話とは言え、来年の新年会には、その民宿まで、ハンニバルよろしく沼津アルプスを越えて攻め込み、山歩きでからからとなった喉で美味いビールを飲もうと、同窓生KAZ君と約束をしてしまったのである。挑まれると後には退けない性格。かくなるうえは実行あるのみである。  年の頃も丁度シルバー。このシルバーウィークを利用して早々にその予行演習をしようと言うことになった。いや、何事も準備は怠りなく備えておくことは肝要である。  沼津アルプスとは、誰が言い始めたかは知らないが、沼津市のホームページによると、香貫山 (193m)、横山 (183m)、徳倉山 (256m)、鷲頭山 (392m)、大平山 (356m)の山並みの総称である。どの山も標高は低いが、なかなかの急峻であ…

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オトシブミ探し

 副題を「モテナイ中年男の恋文探し」としたい。と言うのは、当初、タイトルを「モテナイ中年男の恋文探し」としたところ、早速コメント欄にいかがわしい業者のいかがわしいリンクを貼り付けられ辟易。よって、これは副題とし、タイトルは「オトシブミ探し」と変更することにした。モテナイ中年男はいかがわしい業者の恰好のお得意さんになると思われたのだろう。うう~、(-_-)ゞ゛  不徳の致すところ。反省。(;-_-;)  知人が読んだら、「中年???いやいや立派なご老人ですよ」なんて言われそうだが、五十肩で苦しんでるんだから立派な中年だろうと反論したい。「えっ!何年遅れの?」・・・ドクターの言うには八十でも九十でも五十肩って言うんだそうな。  ところで五十は中年だろうか?・・・まあ、それは置いといて・・・ヽ( ´ー)ノ  ここ数年、個人的に私の夏を迎える儀式となっている恋文探しに出かけることにした。  昨年は一つも見つけられず、「ああ~俺はやっぱりモテナイんだな」と悲観したものであったが今年はどうだろうか?  愛鷹山の林道を登って行くと、程なく爽やかな新緑が迎えてくれる。  平安時代の男は、想いを寄せる女性に書いたラブレターを、わざとその女性の歩いている前に 落としておく、“落とし文”という優雅な風習を身につけていたそうな。しかし今や男女共同参画の時代、女性の方が私の歩いて行く前にオトシブミの一つや二つ落として行ってくれてもよさそうなものだが・・・などと、愚にもつかないことを去年も考え…

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桜、そのフィナーレに思う

 風の音が聞こえる。  風が、木々の梢を揺らす折、窓ガラスを撫ぜて行き過ぎる折、様々な音を立て、私を外へ連れ出そうと誘っている。  つい先日まで足踏みをしていた春が、一気に駆け抜けようとしていた。その足音に促されるように仕事を中断し、お気に入りの寺の境内を尋ねる。  「時折吹く花風に舞い散る姿は壮観でもあり、春の盛りを告げる桜であると同時に、散り敷くことで春の終わりさえ知らしめる。この散り敷いた様子を“花筵(はなむしろ)”と呼び、また、水に浮かべば“花筏”、花を籠に入れれば“花筺(はながたみ)”、衣に散り掛れば“花衣”となり・・・花のつく言葉は枚挙にいとまがない。」と、我がホームページに時折訪問してくれる“はなせんせ”が教えてくれたのは3年前の今頃であった。  気がつけば、今年ももうそんな時期。“はなせんせ”の言葉を思い出して、是非に桜のフィナーレを目に焼き付けたくなった。  お気に入りの寺の境内に足を踏み入れると、期待通りの桜吹雪。しかし皮肉なもので、カメラを構えると風が止み、桜の花びらは舞い落ちてこない。    花筵もまだ未完成と言ったところであろうか、もう少し散り積もってくれると見応えもあるのだろうが・・・。  風よ吹け、花よ舞え、花びらよもっと積もれ。  西行のみたま鎮めよ花筵  西行のみたまも和む花筵  花のつく言葉の中では、やはり“花筏”が一番趣があるだろうか。  そこで三年前に…

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春宵のそぞろ歩き

 この季節、“五時から男”をやったあとは、タクシードライバーさんには悪いが、京都議定書の精神を重んじ、そぞろ歩いて帰宅するもよし。  スライドショー・「春宵のそぞろ歩き」  クリックしたら、画面下右端のデスクトップのマークをクリックし、フルスクリーンモードでご覧下さい。

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再び「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」について

 先だって、七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しきについて記述したが、書き足らなくて、その後、「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」についてと題して再びブログを書いた。それでもなお、書き足らなかったので、今回、三度「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」について書いてみたい。  表富士周遊道路からの各登山道への進入路の閉鎖も解けたようなので、久しぶりに富士山の中腹を散歩しようと車で太郎坊へ向かう。  途中、八重の山吹を発見。沼津辺りでは殆ど見かけなくなった八重の山吹も、ここ御殿場の在の方ではかなり多く見かけることができた。      山吹の 写真嫌いが 風にゆれ  それにしても、山吹の花は風に揺れている姿が良く似合うが、カメラマンには困ったものよ。  そよ風でも、常に大袈裟に揺れている。(笑  やはり、どう言う仕草が一番映えるか意識しているのであろう。  ほんにおなごのような花よのう~  どれも別嬪さんに撮れたので捨てるのが惜しい。ええ~い、枚数が多くなるが全部載せてしまえ。(爆  近くで、棚田風の水田を発見した。既に水が張られており田植えも間近いことを物語っている。  やはり山吹には農村の風景が良く似合う。  これも太田道潅に一枝の八重山吹を差し出した少女のイメージがあまりにも強いせいだろうか?  それにつけても、日本の田園風景とはいいも…

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「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」について

 先だって、「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき」(←クリックして下さい)について、疑問に思うことを、気のままに書き連ねたところ、拙者の幼稚な発想にもかかわらず様々なご意見をいただき感謝の念に堪えない。  実に中学一年の時からであるから、随分と長い間疑問を抱えたままであったことに気付いたわけだが、この辺でこの疑問に終止符を打っておきたい。  当初、私同様に、「園芸種の八重の山吹が平安時代にあったとは考え難い。イチゴの花やキイチゴの花が重なって咲いているところを良く見かけるが、そんな様が八重の花に見えて、思わず詠んだ歌ではないか?」と考えている人もいたが、「花咲きて 実は生らぬとも 長き日に 思ほゆるかも ヤマブキの花」と万葉集にもあるところを見ると、八重の山吹の存在はかなり古くからであったことは最早否定できない。とすると、やはり某“はなせんせ”の「・・・平安時代に現代のような遺伝子組み換えで、特性をもった園芸品種を作り出すことはできなかったでしょうが、自然界や栽培途中の植物群から、突然変異を見つけ出し それを繁殖して園芸品種を作り出すことはできたのではないでしょうか。勿論 種子は出来ないわけですから、人の手で株分け、挿し木、取り木といった方法でです。武家や町人たちはあまりの美しさに株分けして自宅に持ち帰えり、鑑賞価値のある八重咲きが広まったということ(^-^) 八重ヤマブキはバラ科ヤマブキ属。日本各地の湿った斜面に野生するヤマブキは花びらが5枚の一重咲きです。その雄蕊…

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七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだに 無きぞ悲しき

 最近、雨が多い。  昨日は時折ぱらつく雨の中、山道を歩いた。山道を歩きながら、茶飲みの戯れ言に読んでもらおうと、こんなことを考えた。  春雨と言うと、しとしとと降る優しい雨をイメージするが、最近の雨は優しさの微塵もない荒々しい降り方をすることが多い。  作者も本のタイトルも忘れたが、小学生の頃読んだSFものにこんなことが書いてあった―地球の大気中の二酸化炭素の量がこのまま増え続けると、やがては金星のようになる。金星は二酸化炭素を主成分とする大気に包まれているため温室効果が生じ、地表温度は、金星よりも太陽に近い水星よりも高く、常に暴風に見舞われている―と。  最近の荒ぶる天候を見るにつけ、地球の状況が金星に近づきつつあるのではあるまいか?とつい思ってしまう。これも人間達が、地球に辛く当ってきたことに対するしっぺ返しか?  子供も愛情をもって育てれば愛情豊かな子が育つが、痛めつけられて育てられると、やはり思いやりに欠けた人間に育ちやすいものだ。  以前係わりを持った中学校のサッカー部の顧問で、連日生徒達を殴ったり蹴ったりしてトレーニングしていた体育教師がいた。そこで、「お前は何故に暴力で子供たちにサッカーを教えるのだ?」と詰問したところ、「自分も高校時代、監督に地面に叩きつけられ、スパイクで顔を踏みつけつけられて指導されてきた。そのおかげで県大会にも出場でき、今の自分があると思っている。だから自分も同じように教えれば、やがては生徒達は分かってくれるはずだ。」としゃあしゃあと、その体育教師…

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土田ひろかず著「外科医の世直し・大手術」、新刊図書紹介

 高校の同級生から郵便物が届いた。中には一冊の本が入っていた。同封されていた挨拶文には、次のようにしたためられていた。  選挙の本ができました。(←クリック)  日差しの中に時折、春の気配を感じるようになりましたが、まだまだ寒い日が続きます。如何お過ごしでしょうか?  昨年の参議院選挙では大変お世話になりました。あの熱い夏から早いもので半年以上の月日が経ちました。  皆さんと潔く熱く駈けぬけた選挙の日々を文芸社より『外科医の世直し大手術~私は負けていない!仲間たちとの選挙奮闘記』と題した書籍として出版する運びとなりました。  涙あり、笑いあり、世の中の様々な問題にすぱっとメスを・・・・・・  うまく治療できたかは定かではありませんが、熱い想いをかたちにできたように思っております。  4月1日に全国書店・インターネットを通じ、発売になりますので、友人・知人の方々におすすめして頂き、できるだけ多くの皆様に手にとって頂けたら幸いです。  今後も医療現場を通し、土田ひろかずオフィシャルホームページ『土田ひろかず~FANTASISTA-TIGRE~』にて、これからも“世直し大手術”を続けていきます。  メールマガジンも配信を始めます。ご興味のある方は是非ご登録お願い致します。  HPアドレス http://tsuchida.tv/index.html  Mailアドレスfantasista-tigre@toranomon.or.jp  皆さんからの読書後のご感想・ご意見などお待ち…

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梅一輪 一輪ほどの あたたかさ

 頑ななまでにじっと小さいまま寒さに耐えていた花芽が漸く膨らみ初めても、一向に寒さが緩む気配はなく、春は足踏み状態だった。  その蕾がやっと膨らみ、3月4日に一つ開いた。  梅が咲くと、誰もが思い浮かべる服部嵐雪の俳句。  梅一輪 一輪ほどの あたたかさ  私は、この句が口をついてでてくると、決まって中学時代の社会科の先生を思い出す。この先生は寒がりで、この時期、梅が咲き始めると、ちょっと前かがみになって両手を合わせてこすりながら、「梅一輪・・・」とやり始める。独り言のように「梅一輪 一輪ほどの あたたかさ・・・いや、梅一輪 一輪毎の あたたかさ、だったかな?・・・どっちだったかな?一輪ごとだな・・・うん、どっちだか知ってる人?ハイ手を上げて!」と社会科の授業そっちのけで俳句の授業となった。所謂脱線授業である。  昔はこう言う先生が沢山いたものである。この先生は、例えば歴史で川中島の合戦が出てくると、「鞭声粛粛夜河を過る~」と始まり、上杉謙信と武田信玄の話をたっぷり1時間かけて講義してくれた。時には次の授業に及ぶこともあった。楽しい脱線であった。この先生のおかげで大河ドラマの大ファンとなった。  中学一年時の英語の先生は漢文が好きで、「世界中の言語で一番似ているのは英語と中国語である。」から始まり、英語の授業を即、漢文の授業に切り替え、黒板に漢文を書いては「これを次の授業までに暗記して来い。」と、宿題を課した。従って一つの漢文に2~3時間の授業を費やすことも…

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日本高等学校野球連盟を擁護するわけではないが・・・

 野球特待生とその親達をいたぶる財団法人日本高等学校野球連盟の仕打ちに対しいきりたっている面々も多いようだが、「ちょっと待ってくださいよ」と言いたい。確かに現状の社会の仕組みからすると、金のかかることを子供が望んでも、平均的なサラリーマン世帯では、全部が全部子供の夢を叶えられるものではない。高野連に対する批判は、そう言う現状を追認した上でのことであり、現状の社会の仕組みが絶対正しいとするならば、確かに高野連の処置は時代遅れで、救いようもないアホでお馬鹿な処置である。しかし、その前に(高野連を批判する前に)現状の社会がおかしいと思わなければいけない。  教育の機会均等をいかように考えるのか?野球にしろサッカーにしろお勉強にしろ、その特待生となった子たちの費用は誰が負担しているのか?先ず、そこから考えなくてはいけない。  特待生制度を採用している学校は殆どが私学であろうが、特待生の費用は、非特待生の保護者が負担しているのではないか?そもそも何でそんなことがありえるのか?野球の技術が優れていればそうでない子を肥やしにしていいのか?  野球に限らず、サッカーでも学問の分野でも、教育の機会均等という意味からすれば、特待生制度とは実におかしなものである。  そもそも、子育ては親の義務と言う考え方がおかしい。子育ては社会の義務である。子供がいようが、また子供が何人いようが、世の中の子供たちは全員、社会全体の授かりものとして、教育費のみならず、子育ての費用は全額社会が負担することを考えなければ、機会均等も…

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教育的見地に立って敢て言うプリンスリーグの罪

 「人気において高校サッカーが高校野球を追い越せない訳」と言う副題を付けてみたい。  Jリーグの発足以来、サッカー人気はうなぎのぼりであったが、その右肩上がりの折れ線は10年もっただろうか?  野球を追い越すチャンスをフイにしたことを、「当初の人気はバブルだった」と言って、簡単に片付けようとしている御仁もいるが、いかがなものだろう???  野球に比べてチーム数が多すぎる。故に競争が激しく球団経営が難しい。結果、選手の報酬が野球より一桁低いと言うこともあろうが、ここはそのことには敢て目を瞑って、世代別で見ると社会全体の基本ともいえるユース世代に目を向けて考えてみたい。何故ならば、サッカー少年に限らず全ての分野で、この時期が、自身の進路について各人が一番考える時期ではないだろうかと思える、人生において最も重要な時期と考えるからだ。  その前に、高校野球について述べておきたい。  中学生の時、クラブ活動で初めてボールを蹴って以来、40年以上ずっと熱烈なサッカーファンであった私でさえ見ずにはいられない夏の甲子園大会。  夏の甲子園大会がサッカーの大会に比べて、何ゆえにあそこまで魅力的なのだろうかと考えてみた。  同じ甲子園でも春の大会の人気がさほどでもないのは、新人戦的要素もあるだろうが、一番大きな原因は、その選抜方法にあると私は推測する。勿論、直前の戦績は参考にされるものの、各地区の勝ち抜き戦の結果ではなく、あくまでも選考会の選考の結果で出場校が決まっていること。建設・土建業界の談合…

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教育再生会議座長の珍言

「塾は禁止」 教育再生会議で野依座長が強調  政府の教育再生会議の野依良治座長(ノーベル化学賞受賞者)が8日に開かれた「規範意識・家族・地域教育再生分科会」(第2分科会)で、「塾の禁止」を繰り返し主張していることが、同会議のホームページに掲載された議事要旨でわかった。しかし、再生会議が21日にまとめた第1次報告の原案には「塾の禁止」は盛り込まれていない。  議事要旨によると、野依氏は「塾はできない子が行くためには必要だが、普通以上の子供は塾禁止にすべきだ。公教育を再生させる代わりに塾禁止とする」と再三にわたって強調。「昔できたことがなぜ今できないのか。我々は塾に行かずにやってきた。塾の商業政策に乗っているのではないか」と訴えた。  JR東海会長の葛西敬之氏は「日本の数学のレベルは学校ではなくて、塾によって維持されている、という面もある」と反論したものの、事務局側は「公教育が再生されれば、自然と塾は競争力を失っていく。結果的になくなる」と同調、国際教養大学長の中嶋嶺雄氏も「野依座長のおっしゃったように塾禁止ぐらいの大きな提言をやらないと」と野依氏に賛同するなどひとしきりの盛り上がりを見せた。 【asahi.com2006年12月23日22時55分】  笑止千万である。本末転倒も甚だしく「塾禁止」の強権を用いねば、今に公教育は見捨てられてしまうと自ら認めたも同然な発言であると気づかぬのだろうか?  順序として、公教育が再生され、充実すれば、禁止しなくても塾は不要にな…

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ハッピーホリデー

 まあ、どうでもいい話だが、昨年、テレビのニュース番組で小耳に挟んだこと。アメリカではクリスマスの挨拶が「メリークリスマス」よりも「ハッピーホリデイ」の方が一般的になっているとのことであった。   多民族・多宗教国家のため非キリスト教徒への配慮でそうなっているとのこと。キリスト教徒である大統領もテレビ等で国民に向かって「ハッピーホリデイ」と挨拶するそうである。素晴らしい話ではないか?我が国の首相は、他国の人たち或いは国家神道でない人たちに対して何の配慮もできないが、その首相を一の子分と考えるあのブッシュ君にはそんな配慮ができるとは想像もできなかったことなので感激もひとしおであった。大統領職2期目にして初めて一つ評価できる点を見つけたような気がした。   たったこれだけのことでブッシュ君とジュンちゃんの人間性に天と地ほどの差を感じてしまうので不思議だった。やはり井の中の蛙とは違う国際感覚をもっているのだろう・・・と思った。  ところが、そのブッシュ大統領、「キリスト教徒なんだから何を憚ることがあるか、堂々とメリークリスマスと言え」と国内のキリスト教徒に噛み付かれていると言うから、アメリカのキリスト教徒も日本の国家神道愛好者と大した差はなさそうである。しかしリーダーに歴然とした差があることは羨ましい。   キリスト教徒でもない日本人がクリスマスに大騒ぎすることに対して今更野暮なことを云々するつもりはないが、せめて「メリークリスマス」ではなく「ハッピーホリデイ」にしてくれたらいいなあ~。しかし、…

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今や社会問題・政治問題となった「いじめ」

 いじめはどうして起こるのだろうか?これについてはまだ誰も分かっていないだろう。原因が分かれば病気と同じで原因除去という対策を立てればよいのだが、今のところ有効な手段は何一つ講じられずにいるのだから、それは原因をまだ特定できていないことを証明している。ならば、原因については推測するしかない。私はそれを「余裕のなさ」と特定した。これについては証明する必要はない。感性豊かな人間であれば誰もが推測できることであるから。  「衣食足りて礼節を知る」と言われているが、正しくその通り。「ゆとり」がなければ、人を思いやったり助けようと思ったりする余裕は生まれてこない。  一頃言われた「ゆとり教育」とは教師に土日の休日を与えるためだけの目的で導入されたものと言っても過言ではない。あれで子供にゆとりができたなんて信じているおめでたい父兄がいたらお目にかかりたいものだ。  授業日数が減った分、子供たちのスケジュールが窮屈になるのは当たり前のこと。その結果が単位未履修者の続出。この結果は学習指導要領という縛りが無用の長物であることを物語っている。  更に困ったことに、為政者にとって御しやすい国民を作るため、このインターナショナルの時代に、化石となったはずの愛国心なる言葉が堂々と復活し、教育基本法に恥じることなく盛り込まれた。  世界平和実現のためにはむしろ国や民族といった概念を捨て去らねばならぬのに、それに逆行した概念が旧世界からよみがえってしまったのである。これはナショナリズムを徒に煽り、君が代・日の丸…

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教育問題

 子供を学校にやったが為に死なれてしまった。或いは、学校に行かしたが為によってたかって虐められて殺されてしまった。親にとってはそう思いたくなる状況の自殺もあるだろう。或いは、本来ならば「先生、先生」と言われあがめられるとまでは行かなくとも、少なくても尊敬されなければならない所謂世間で言う教育者と言われる連中が、あれでも子供達に物を教える立場の人間か?と思えるような無様な言い訳にもならない言い逃れを繰り返したり、死に追い込まれたり、もしくは子供を死に追いやった張本人として糾弾されたり、心身症になったりと、まるで嘘のような話が現実のものとなってしまった今日の教育の有り様が正常だと思っている人はいるであろうか?  まず居なかろう。誰もがおかしいと思っているはずである。ならば正さなければならないはずなのに、一向に有効な手段は講じられないどころか、文部科学省や教育委員会の対応を見るにつけ、果たして教育現場を真の教育に相応しい正常な環境に整える気があるのだろうかと思わざるを得ない状況である。  教育委員に至っては、「教育委員には何の力も権限もない。単なるお飾りで、全ての事項が県から下ろされてきて、それを形式的にあたかも教育委員会が決めたが如く、世間を欺くために追認するだけの役職である。だから辞めた。」とテレビで発言する人物まで現れる有様。しかし、この発言こそが真実であろうと、感性を持ち合わせた人間であれば誰しも頷けること。これは文部科学省が教育行政を行っているのではなく、国の施策に忠実に従ってくれる国民を…

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義務教育は最早必要ないのでは?

 いじめによる子供の自殺、或いは教師の自殺と、異常な事態が続いている。  教育改革なる言葉が叫ばれて久しいが一向に教育現場が良くなる兆しは見えて来ない。それどころか悪くなる一方である。  マスコミは連日、「いじめが原因の自殺」と報道しているが、文部科学省の発表では、いじめによる子供の自殺者はゼロ。文部科学省や教育委員会がいかに躍起となって臭いものに蓋をしようとしても、事態は明々白々。こころある国民はそんなたわごと誰一人信じやしない。  これは最早、教育委員会も文部科学省も子供の人権を守るどころか、命さえも守れない、また、その気もない、自分たちに与えられた仕事は臭いものに蓋をすることだ、ということを証明しているようなもの。そのように本来の責務はそっちのけで、日の丸掲揚と君が代斉唱にのみ力を注いでいるから、こういう結果をもたらすのだ。  そもそも考えてみれば、文部科学省は国の機関、その下請けのような教育委員会は、教育よりも国の施策を反映させるための機関。為政者にとって最も都合のいい国民は国のどんな施策にも異を唱えない無気力・無抵抗・無感覚な人間。文教族議員出身の元総理が、「選挙の時は寝たふりをしていてもらいたい。」と言ったのは本音。要するに、そう言う国民を育てるための機関と疑いたくなる。事実そう言う人間は増えている。そうだとすれば文部科学省の遠大なる企みは着実に成果をあげつつある。  文部科学省と教育委員会が教育現場を牛耳っている限り、教育改革は不可能であろう。それは社会保険庁と社会保険事務…

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恩讐の彼方に・・・内申書、教育、戦争、平和、靖国、等々のこと

 ネットサーフィンをしていて、偶然行きついたサイト: http://blue.ap.teacup.com/paletoutseul/ そこには「内申書制度の廃止を求めます」とタイトルが書かれていた。更にその下には平和に対する思いが切々と綴られていた。  報道によると、最近、戦争体験のない若い世代でも愛国心なる言葉を口し、中国、韓国の批判に対抗するかのように、多分、靖国のなんたるかも分からずに参拝する人が増えているようだ。国を憂う心は大事だが、一部の偏った価値観を持った人たちが、巧みに愛国心なる言葉を利用して、徒にナショナリズムを煽り、勇ましい方向へ若い世代を導こうとしている企みはどうも気になる。  中国や韓国も、ただ批判するばかりではこういう結果を招くだけだと気付かなければいけない。そしてロシアも、ただ漁をしていただけの漁民を銃で撃つことはなかろう。  日本人は包囲されると「止むに止まれぬ大和魂」に行き着いてしまうのだ。  日本が愚かにも第二次世界大戦に突入してしまった原因も、持てる国のブロック経済圏に包囲され追い詰められてが原因。石油禁輸と言う首根っこを押さえつけられての止むに止まれぬ大和魂。  国際社会はこれらのことを学習したはずだが、その教訓は生かされていない。  お互いただ批判し合い詰め将棋をやっていても進歩はない。何故もっと冷静になれないのか?靖国神社に本当に英霊が眠っていると思っているのだろうか?あそこには名簿があるだけ。紙切れに参拝して何になるのだろう。  もし、こ…

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