木曽駒ケ岳散策
一昨年、花の時期の千畳敷カールを訪ね、帰ってきて程なく目にも鮮やかな紅葉の千畳敷カールの写真を新聞で見て、あっと驚かされた。その時からいつか錦秋の千畳敷カールを訪ねてみたいと思っていた。
今年、漸くそのチャンスが巡ってきた。
10月9日、千畳敷カール駅でゴンドラから下りると、想像とあまりにかけ離れた千畳敷カールにわが目を疑った。
葉っぱが一枚も残っていない、既に冬枯れの山であった。
しかしながら、山は紅葉だけではない。天気に恵まれ爽快な360度のパノラマを二日間堪能することができた。
乗越浄土より千畳敷ホテルを俯瞰す。
木曽駒ケ岳山頂より御嶽山を望む
乗鞍岳遠望
穂高岳遠望
北アルプス方面の雲海がまるで大きな湖のように見え美しい!
濃ヶ池
沢は凍りつき。木曽駒ケ岳の冬は既に始まっていた。
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初秋の富士・宝永山を歩く
9月23日、初秋の富士山中腹を歩く。
コースは富士宮ルート新五合目より新六合目に登り、そこから右に折れて登山道をはずれ宝永山方面へ。
第一、第二、第三宝永火口を左に眺めながら、年寄りには足元のふらつくガレ場をひたすら下り、三辻、二ツ塚を通って太郎坊へ至る。
早くも草紅葉が始まり、秋の深まりつつあるを感じる。
あまり人気は無いが、なかなかいいコースである。富士山頂、宝永火口、宝永山の荒々しい光景を見たかと思えば、カラマツの樹林帯で癒され、その林床には可愛いコケモモが敷き詰められている。この季節はキノコも沢山見られる。ずっと下ると、二子山の美しい形にうっとり。この季節は駆け上がり植物の紅葉も楽しむことができる。実にバラエティに富んだ散歩コースだ。
ヤマホタルブクロ
ハナイグチ
キヌメリガサ
二ツ塚、通称二子山
マツムシソウ
フジアザミ
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天城・八丁池の秋
2014年11月18日、水生地下より時計回りに、『下り御幸(ぎょうこう)歩道』を登り、八丁池を経由して、『上り御幸歩道』を下り、天城峠を経由して水生地下に戻るルートを歩いた。
近年の容赦のない強風が、今年も、木々の葉を色づく前に散らしてしまい、紅葉は期待外れ。しかし、威厳に満ちたブナの樹形、そして、妖艶ささえ感じさせるヒメシャラの美しい幹肌が、深山に静かに映え、心安らぐおもいであった。
ラストエンペラー・愛新覚羅溥儀の姪・愛新覚羅慧生最後の地は、淋しくも厳かな雰囲気の中、早くも冬枯れの様相を呈していた。
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天城・遊々の森と滑沢渓谷
2014年10月8日、天城遊々の森を流れる狩野川の上流は、通過したばかりの台風18号の影響で少し濁った水を下流に運んでいた。それでも、そこに注ぐ滑沢渓谷の水は蒸留水のように少しも濁りなく勢いよく流れていた。
温暖な伊豆では紅葉はまだまだ先のことだが、ここの紅葉は楽しみの一つでもある。一ヵ月後にまた来てみるとしよう。
あきそうび(秋薔薇)
秋薔薇と書いて「とあきそうび」と読むそうな。意味は秋の装いとのこと。
その秋の装いを見に、伊豆は河津のパガテル公園を尋ねる。残念ながら台風18号に痛めつけられた直後。それにアキソウビの季節には少し早かった。
モネの絵画・「睡蓮」ではありません。本物の景色です。(笑
個別の薔薇の花はBGM付きスライドショーのデジブックでご覧下さい。下のサムネイル画像をクリックし、数秒お待ちください。新しいページが開かれたら、画像内下部右端のデスクトップのマークをクリックし、フルスクリーンモードで覧下さい。
紅葉の高尾山ハイク
山好きの高校時の同窓生相集い、遠足気分の高尾山へ紅葉狩りに出掛けた。(笑)
同窓とはいいものだ。集まれば、即、童心に戻れる。
また、高尾山と言う山がそんな気分を更に高じさせてくれる。雰囲気は遠足兼銀ブラと言ったところ。
いつもの山行と違い遠足気分だから、歩くことにも不真面目。(笑)
年が年だからリフトに乗ろうぜと、相談することもなく、みな当然のようにその流れ。
さあて、リフトを降りたら・・・仕方ない!歩くとしよう。
途中から高尾山銀座の1号路に別れを告げ、4号路へ入る。銀ブラ気分を払拭し、裏道で山の気分を味わいながら、高尾山山頂~奥高尾山~小仏峠~相模湖を目指す。
本通りを外れると流石にいいね。山に入った気分が味わえる。
高尾山山頂からの眺め。写真中央の遥か彼方に富士山が薄っすらと望めた。
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新しいペ…
秋深まる芦ノ湖畔を歩く
深良用水
箱根の芦ノ湖の水を駿河国(静岡県)駿東郡に引水した灌漑用水。はじめ箱根掘貫、後に深良(ふから)用水と呼ぶ。江戸町人友野与右衛門らが駿東郡深良村名主・大庭源之丞とともに湖水を利用した新田開発を企て、1666年(寛文6)小田原藩と幕府の沼津代官所に出願し、70年に完成した。
アケボノソウ
アケボノソウ
秋の日の長安寺散策
秋の日のヴィオロンの
ためいきの身にしめて
ひたぶるにうら悲し
鐘のおとに胸ふたぎ
色かへて涙ぐむ
過ぎし日のおもひでや
げにわれはうらぶれて
こゝかしこさだめなく
とび散らふ落葉かな ヴェルレーヌ(上田敏『海潮音』より)
はるか昔、まだ少年だった頃、憶えた詩を、ふと口ずさむほどの心地よさ。
帰りを急いでいようと、どうしても散策したくなる雰囲気を・・・そんな境内を備えた箱根仙石原・長安寺。
秋の日に誘われて、そぞろ歩いた。
真っ直ぐに伸びた針葉樹の幹と幹の間に垣間見られる広葉樹の紅葉は、私にとって異空間の出来事のようによそよそしく見えなくもない。もしかしたら私に係わりのない世界の季節の移ろいを傍観しているだけかもしれない。それは格子窓の格子を通して眺める外の景色なのかもしれない。
晩秋の金時山散策
過ぎ行こうとしている秋を惜しみつつ金時山を歩いた。
ツルリンドウ
リュウノウギク
晴れてよし 曇りてもよし 富士の山 もとの姿は 変らざりけり (山岡鉄舟)
山頂には、今にも零れ落ちんばかりの大勢の老若男女が、富士が姿を現す瞬間を今か今かと待ち構えている。(笑)
それはまるで山の向こうになにかいいものが隠れているようにも見える。
ふと、昔覚えた詩が口をついて出てくる。
山のあなたの空遠く 幸い住むと人のいう。
ああ、われ人ととめゆきて、涙さしぐみかえりきぬ。
山のあなたになお遠く幸い住むとひとの言う。 (カール・ブッセ、上田敏訳)
我々はもう待ちきれない。
さて、下りるとしよう。
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金時山からの富士の眺め(秋)
金時山頂からの富士を眺めたいと思っているところへ、折りよく友人から誘いのメールが届いた。早速快諾。
2010年11月13日(土)、天気晴朗なるも黄砂が来襲するだろうとの予報。
道すがら車窓から眺める遠くの空は、予報通りこの時期にしては珍しい霞み方。
天気予報を聞いていなければ、遥かに霞む富士を幻想的だな、と評したであろうが、その原因がかの国から飛来した黄砂かもしれないと思うと、時期が時期だけに複雑な思いである。しかしここはシンプルに富士の眺めだけに感動しよう。
目を転じれば、山間の森林は程々に色づいて秋の深まりを物語っている。芦ノ湖も望むことはできるがやはり霞の中だ。
「ナナカマド・・・七度竈にくべても燃やすことができないためその名がついたと言う傑物。単に水気が多いだけと言う人も居る。或いは七度竈にくべれば良質の炭がとれるとも。植物の名前の由来は訳が分からん。(爆」と、なんの疑いもなく記述したが、“はなせんせ”のご指摘により、これはナナカマドではなくノイバラの実と判明。(^^;)ゞ
季節柄、山には竜胆が多く咲いていた。
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花の寺・長安寺の五百羅漢
表富士の紅葉にがっかりし、諦めきれずに箱根・仙石原の長安寺を訪ねてみたが、やはりここも紅葉は見るべきものがなかった。
また、花の寺といえども、流石にこの時期である。見るべき花もない。
しかし、ここには五百人の羅漢さんたちがいる。折角来たのだから羅漢さんたちに挨拶して帰ろう。
「オウッ!また来たな」って感じかな?
「おい、俺を忘れるなよ。」
通り過ぎる時、声をかけられたような気がした。ふり向くと、羅漢様が笑っていた。
「ハイハイ、承知。・・・写しますよ~。チーズ。」
「いやいや、わしゃいいよ~」
「わしも遠慮するよ~」
「まあ、そう仰らずに・・・ハイ、ポーズ。」
逆さ富士ならぬ逆さ羅漢。(笑
イルカに乗った少年ならず“ナマズに乗った羅漢様”かな?
スキップされた秋
以前にも、このようなタイトルで記事を書いた記憶がるが、地球温暖化の影響であろうか、ここ富士山の南側では年々紅葉の具合が芳しくなくなってきている。
つい10日程前に来た時には、紅葉までにはまだ2~3週間を要するだろう?と思いきや、実際10日程経った11月3日に来てみると、木々の葉は紅葉する前に散ってしまっている。わずかにくくり残された葉は既に立ち枯れたように黄色から茶色にくすもうとしている。
「今年は春もなく秋もなく、冬から一気に夏になり、夏から一気に冬になった」と新聞やテレビで報道されている通り、ここ富士山の南側でも、見事に秋はスキップされてしまった。
昨年の尾瀬山行以来、急速に付き合いが深まった同級生たちと、来年も再来年も元気に尾瀬を歩けるようにと、トレーニングを兼ねて、富士の中腹に紅葉狩りに来たのだが、紅葉は諦め足腰のトレーニングに専念である。(笑
親交が深まったのは良いのだが、この仲間、一つだけ嫌なことがある。それは、この連中、妙に俳句や短歌に凝っているという点である。どこぞへ出かけると必ず一句又は一首を宿題とされるのである。詩歌とは縁の無い生活を送って来た拙者にとっては苦痛である・・・が、そこは切り替えの早い拙者のこと。「俳句や短歌は自己満足の文芸である。どうせ、俳句や短歌を作ってそれで飯を食える人間はいないのだから、みんなアマチュアである。だから人がなんと言おうと気にすることはない。自分で納得できればそれでよい。」と開き直り、紅葉狩りは諦め、恥ずかしながら5…
セピア色の秋
今年の紅葉は密かに期待していたのだが、太郎坊周辺の森の様子はいつになく見るべきものがない。
最近の天候のたおやかさに欠ける点はいつも思うことだが、太郎坊周辺に限って言うと、今年は紅葉する前に荒々しい強風に葉っぱを殆ど散らされてしまった感じだ。
クルクルにカールし、チリチリに乾ききった枯葉がうず高く積もった小径を、カサカサと音を立てながら歩くのはとても楽しい。これだけ音を立てていれば、鈴を鳴らさなくとも熊は逃げてゆくだろう。
しかし、紅葉はダメでも富士山にはもっとシックなカラマツ林の黄葉がある。
この時期、幕岩上のカラマツ林はあたり一面をセピア色に染める。
上空で、木々の梢たちと風が出会い、賑やかに音を奏でる。
ひゅ~っ!ザワザワザワザワ、ヒュルルルル~
自然の奏でる伴奏に励まされながら、カラマツ林の小径を登る。
ひたすら歩き、ふと見上げると、カラマツ林の上に宝永山の溶岩ドームが立ちはだかっている。
視線を東に転ずれば、木花開耶姫様の乳房が見える。私の大好きなオッパイ山(二子山)だ。夏の間よく日焼けしたらしく、小麦色の肌を惜しげもなくあらわに。・・・ちょっとマダラだが・・・。ヽ( ´ー)ノ でも、いつもながら形は良い。
三辻周辺の森林限界を見渡すと一面セピア色である。
今月下旬には登山道への進入路は閉鎖される。このセピア色の世界が白銀の世界に変わるのも間近なことだ。…
季節の花(10月、街の中で)
ぎっくり腰の痛みが漸く和らいできたので、リハビリのために少し近所を歩く。
この季節の花が美しい。
花の名前はちっとも覚えられない。故に無理に花の名前を覚えようとは思わない。見て「あ、綺麗だ!」と思ったら、名前は「綺麗な花」或いは「可愛い奴」・・・それで良い。
通りかかった家の庭先の零れんばかりに咲いている花が綺麗だ。
ずっとロープが張られたままだから、もう何年も前から無人の家なのだろう。しかし無人とは思えぬほどにいつも綺麗に花たちは咲いている。誰かが偶に手入れに来ているのであろうか?
・・・主なしとて春を忘るな・・・ではなく、主が居なくても咲く季節を忘れぬ花たちが健気だ。
きっと主の帰りを待ちわびているのであろう。
去り行く夏に思いを馳せて・・・
夏になると気になるアイツ・・・それはアサギマダラ。
夏になると、富士山の太郎坊~幕岩~二子山コースを良く散策するのだが、幕岩周辺の森の中ではアサギマダラ初め多くの蝶たちを見かけたものだ。それが昨年あたりからトンと見かけなくなった。最近のあまりの天候の荒々しさに旅の途中で叩きのめされてしまったのではないかと心配している。今年もとうとう1頭のアサギマダラにも出逢うことができなかった。
もしかしたら南の島に帰るアサギマダラに逢えるかもしれないと、富士山に向かった。
夏の間、幕岩周辺ではついに1頭も見かけることがなかったので、昨日はポイントを変え、西臼塚の林の中に入ってみた。
林の中は、ゲンノショウコ、シロヨメナ等が花盛りであったが、お目当てのアサギマダラはいない。
もう実りの秋を迎えようとしているのだ、皆、南の島に返ってしまったのだろうか?それなら良いのだが、しかし、昨年今年と1頭も見かけなかったことが気になる。
自然は時々とんでもない造形で我々を笑わせてくれる。
これは随分と色っぽい胸騒ぎの腰つきだ。過ぎ行く夏を惜しんでサザンの勝手にシンドバットでも歌っているのだろうか?
こちらは色っぽさもなくなったコブ爺さん。
ヒメシャラはどこの森でも目立つ存在だ。なんとも艶めかしく美しい。
アサギマダラは諦め帰路に就いた。
途中見かけた水田は、ほんのり黄色く色づいた稲穂…
鎌倉東慶寺にて行く秋を送る
暦の上では初冬に入るのだろうが、晴れていても遠くは霞み、春のような陽気。
その陽気のよさに誘われて、足は鎌倉に向いていた。北鎌倉から東慶寺まで歩く間に汗ばむ始末。
伊豆や箱根では裏切られ続けた今年の紅葉も、ここ鎌倉で漸く満足の行くものを見ることができた。
ふと、足下に目を落とすと、花の少ないこの時期、姫蔓蕎麦が一際目立ち目を楽しませてくれた。
白い壁に投影された木の葉の影が印象的だった。
紅葉に慣らされた目には、銀杏の黄葉はまた新鮮であった。
この時期、上空は華やかだが、地上は淋しい。その淋しい足下を姫蔓蕎麦と、ちっともご利益のないマンリョウが頑張っていた。
アキソウビ(秋薔薇)
今年の紅葉は何処へ行っても満足の行くものではなかった。
天城の紅葉はいかばかりかと出かけてみたが、やはり満足はさせてもらえなかった。
ふと思い出して河津の秋薔薇を見に行った。しかし、間の悪い時はこんなもの。秋薔薇も既に終わりの時を迎えていた。しかし、行く秋を惜しむかのように精一杯咲くアキソウビはやはり美しい。
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秋の名残りを惜しんで
昨日の箱根・函南原生林の紅葉に物足りなさを覚え、きょうは長安寺の五百羅漢と紅葉を見に仙石原まで足を延ばした。
静岡県側から行くには、御殿場から乙女峠を過ぎて、仙石原方面と宮ノ下方面への三叉路の左側であった。
狭い参道に車で進入すると、かなり広い駐車場があった。
車を降りて境内に入ると、先ずは両手を挙げて楽しそうに踊る笑顔の羅漢さんが迎えてくれた。
田舎にしてはかなり大きなお寺だ。その広い境内のいたるところに五百羅漢が点在していた。
境内には縦横に散策用の遊歩道が設けられていた。
様々な表情の羅漢さんが時の過ぎるのを忘れさせてくれる。
やはり、温暖化の影響だろう。ここまで来ても満足の行く紅葉は見ることはできなかった。
しかし、ユニークな羅漢さんたちに会ってほどほど満足して羅漢さんたちに別れを告げた。
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skipされた今年の秋
秋と言うには遅い、冬と言うにはあまりに暖かい11月24日、秋の名残りを求めて、箱根・函南原生林に入った。
今では原生林とは名ばかりになり、ベンチも設えられており、森林公園と言ったところ。
その昔(江戸時代)、箱根山の南麓の田方平野の水田を潤す水源涵養林として、余人の入山を許さず、禁伐林として保護されいた。それはイギリスのナショナルトラストが設立される頃よりも古い時代だ。日本の先人達の賢さに頭が下がる。
昭和に入り、その禁が解かれてからは、自然破壊は進む一方。遊歩道は雨が降るたびに表土が洗い流されている。やはり人間が足を踏み入れることが最大の自然破壊なのだ。私もその破壊者の一人。
この森の主と謳われたブナの巨木は数年前に、終に力尽きた。
一歩踏み出す毎に「申し訳ない。ちょっとだけ歩かせてください」と言う気持ちをこめて散策する。
温暖化の影響なのだろう、今年は秋の訪れが遅いと各地で聞かされていたが、そう囁かれている内に、いつの間にか見かけだけは冬の装いになっていた。気温は相変わらず高いが、中途半端なまま紅葉を終え、落ち葉の季節となっていた。
なんとも物足りない紅葉である。
そんな中で、褐色の肌を惜しげもなく曝すヒメシャラだけが、一際艶めかしく目立っていた。
まるで上気した南国の女性のように。
しかしながら、スキップされたような秋ではあったが、季節の移ろいは確実にすすむ。
ふと足下に目をやれば、今また土に帰ろうとする落…
小さな秋を見つけに
久しぶりに、富士山・太郎坊西側の雑木林に小さな秋を見つけに行ってみた。
しかしながら、山はまだ夏の終わりから初秋に入ったばかりの感。
雑木林の紅葉は諦め、幕岩上のカラマツ林へ。
針葉樹の林は好きではないが、この富士山のカラマツ林だけは例外である。いつも素晴らしい光景を見せてくれる。緑萌える初夏も良し、黄葉の秋も良し、枯れた冬もまた良し。いつ来て見ても期待を裏切らない。
木花咲耶姫のオッパイも健在であった。
待てよ!なんだ?あの動く物体は?
あれは自転車ではないか。
不届きな!・・・でも、気持ち良さそうだなあ~
あれは、双子山と四辻を結ぶ、富士山にしては珍しく平坦な遊歩道である。あそこならサイクリングも可能だ。しかし、そこまで自転車を担いで登ったのだろうか?
太郎坊周辺は二輪・四輪のオフロード車による環境破壊が目に余るものがあるが、自転車ならそれほどでもないだろう。見た目にも気持ち良さそうだし、担いで上がった努力に免じて許して進ぜよう。(笑
まだまだ、本格的な秋を迎えるには一ヶ月はかかりそうである。
代わりに、富士の裾野のススキの野原を見に行くことにした。
去年の映像ですが、でもう一度↓スライドショーで、深まり行く秋をお楽しみください。
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