映画「たまゆら」

 下の写真は、土田ひろかず監督作品・映画「たまゆら」(http://tamayuramovie.com/ )の上映初日に於ける監督と出演者たちの舞台挨拶の風景である。  土田は高校の授業では私の斜め前に座っており、律儀にもいつも正しい姿勢で眠っていた。彼の律儀さは若い頃から変わらない。山線(御殿場線)に乗って富士山の麓から2~3時間もかけて沼津まで通ってきていたから相当眠かったのだろう。夜遅くまで勉強していたわけではなさそうだ。高校時代は演劇部に所属し、香陵祭の文化祭では「夕鶴」の与ひょう役を演じた。その熱演ぶりは今でも語り草となっており、充分に同級生たちの酒の肴となっている。演劇部に居たと言うことは俳優を目指していたとばかり思っていたが、卒業して最初に会った時は医者になっていた。一医師としてまた病院経営者として身を粉にして働きながら、少年の心を捨てたことがなく、「政治家になりたい&映画も作りたい」と言う欲張りな夢を一つずつ実現して来た。  映画は子供の頃からの憧れだったと彼は語る。その夢を実現するため医業の傍ら、老体に鞭打ち、土曜の午後は御殿場から東京の映画学校に通い詰めたとのこと。本格的な映画は今回が初めての作品となるが、習作と言うべきか?以前に2本程作っている。その作品を御殿場の映画館で上映した折、同じく高校の同級生で既に映画監督となっていた原田眞人に酷評され一念発起して映画学校に通ったのかもしれないが、こうして子供の頃からの夢を実現して行くタフさはリスペクトに値する。  医師として既…

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映画「エクレール・お菓子放浪記」

 9月11日の昼前、知人から電話が入り、今夜、お菓子放浪記の試写会があるから出て来いとのお誘い。  「ええっ!きょう?」急な誘いに一瞬戸惑ったが、好きな映画がただで見れるなら、こんないい話はない。原作者の西村滋は四半世紀ほど前、沼津に住んでいて、一緒に反戦運動をやった仲だ。それにサイン入りの初版本をプレゼントしてもらい、どこかにしまってあるはず。確かその頃、テレビの連ドラにもなっていた。断る理由はなかった。その後、静岡に転居され随分と久しい。  四半世紀ほど前に、7万2千余筆の署名を集め、沼津市議会に対し、「非核都市宣言」を採択するよう請願したのだが、その時の運動母体・「さよなら核兵器の会」の代表になってもらった人物である。あれは見事に失敗であった。7万2千余の市民の気持ちは無残に踏みにじられ、こともあろうに市民の請願でなく市長提案に切り替えられ、その上請願の目的まで、「非核」でなく「核兵器廃絶と平和都市宣言」にすり替えられてしまった。市民の請願は門前払いとなり、市長提案で1987年3月、その前年のチェルノブイリ原発過酷事故が起きたばかりにもかかわらず、態々「核兵器」に限定されて採択され、この件はジエンドにされてしまった。そして今年の福島第一原子力発電所の事故・・・。市内のあちこちに建つ「核兵器廃絶と平和宣言都市」のモニュメントは、今もって私にとっては運動の敗北の象徴であり、当時の市長の抜け駆けの証拠でしかない。  西村滋って、どんな人?って訊かれれば・・・う~ん、そうだなあ~・・・…

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